はじめに

 

ブログ管理人の音羽です。ご訪問頂き有難うございます。

 

私は92年アルベールビル五輪の伊藤みどりさんの3Aに感動してフィギュアスケートが好きになりました。

 

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主に女子シングルとエキシを中心に見ていましたが、98年長野五輪金メダルのロシアのイリヤ・クーリックを見て男子フィギュアが好きになりました。

 

 

 

クーリックを見るまでは・・・

 

クーリックを見るまではロシア選手はバレエの要素が強く、ジャンプより王子様スタイルの芸術性優先のイメージを持っていましたが、クーリックは五輪でクリーンな4Tを降りたのです!当時は「夢の4回転」と言われていたのでクリーンな4回転を見たのはクーリックが初めてでした。そして美しい3A。もうクーリックにどっぷりハマってしまいました。

 

これからはクーリックを応援しようと思っていたらプロ転向。寂しく思っていたらクーリックの代わりにワールドに出場した15歳のプルシェンコを見て「凄い男の子がいる!!」とプルを応援。ソルトレイクまでの4年間はヤグプル対決を楽しく観戦しました。私にとってフィギュアスケート黄金期です。

 

2002年のソルトレイク五輪が終わって、ヤグが怪我で引退。プルは相変わらず強かったけど圧倒的な強さのためか他の選手がプルに勝つ事を諦めているように感じました。誰もプルを追いかけない・追いつけない。プルは一人で戦い続けました。ヤグと戦っていた頃の一か八かの大勝負をするプルが見られなくなって寂しく感じました。もし当時、本気でプルを追い越そうとするライバル選手がいればプルはもっと強くなっていたかもしれない。男子フィギュア界はもっと進化したのではないかと思える4年間でした。

 

そしてトリノからバンクーバーの4年間。大幅なルール改正で回転不足を厳しく取られるようになり、ハイリスクハイリターンの4回転を飛ばない選手が勝つようになりました。「勝つために4回転を回避する」そんな時代。そしてバンクーバー五輪では4回転ジャンプを構成に入れなかったアメリカの選手が優勝。4回転は終わったのだと絶望しました。私でさえ絶望したのだから4回転時代を創り引っ張ってきたプルの絶望はどれほどのものだったのだろう・・・。そして私はプライベートが忙しくなった事もありフィギュアスケートを全く見なくなりました。

 

そして2014年のソチ五輪。フィギュアを全く見なくなったけど五輪はさすがに見ます。そこで初めて羽生くんを見て衝撃!まずは日本人ばなれしたスタイルに中性的で綺麗な顔。しかもまだ19歳。「若くてビジュアルの綺麗な子=表現力に定評のある子」のイメージを持っていたので羽生くんのSPのパリ散にこれまた衝撃。軽々と決めた冒頭の4T。バンクーバー五輪から時間の止まっていた私は衝撃でした。確かな技術に五輪初出場とは思えない堂々とした様。羽生くんの全てに惹かれました。

 

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そして羽生くんは優勝。その後のインタで羽生くんの口からでた

 

「プルシェンコさんを尊敬しています」

 

凄く嬉しかった!!ソルトレイクからトリノまでの4年間。一人ぼっちで戦っていたプルがどれほど救われたか・・・!!

 

 

それからは羽生くんにどっぷりハマり、現在も進行形です。羽生くん五輪2連覇おめでとう!そして現在も現役を続けてくれて有難う!

投稿日:2019/10/17/19:00 更新日:

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